「空手を通じて困難を乗り越えられる心の強い子供に育てる」をモットーに稽古を行う空手道場。極真会館手塚グループ本部直轄広島県本部へようこそ。

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極真会館手塚グループ本部直轄広島県本部 
<極真精神> 
「頭は低く目は高く口慎んで心広く孝を原点として他を益する」

「千日を以て初心とし、万日を以て極みとする」

 


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明鏡止水 師範の言葉

邪念がなく澄み切った心の状態のこと

明鏡止水

心と環境

悪いことをしようとするとき、人は心に恐怖が訪れます。そうして、それを行うようになれば、今まで積んできたものが崩れます。これを見るとき、心は体の行動を最初から、あるいは序盤から干渉はするのですが、終盤に至っては体に支配されてしまいます。このように環境のために心が体にいつも押されてきているのです。人は弱いものです。道を志す者であるならば、このような環境に影響を受ける自分の心を管理しなければなりません。

人生と時

私たちの毎日の生活は、朝が来て、一日が始まり、昼を迎えてやがて夜になって一日の終わりを迎えるように規則的な時というものを中心として、新しく移り変わる環境を迎えつつ進行しています。同じように人生においても少年時代、青年時代、壮年時代、老年時代という過程を経て、日が沈むように一つの人生を終えるようになっています。しかし一生というものは常に一定ではありません。その時代時代は次の時代を迎える準備でもあります。その時に成すべきことを誤れば、大きな穴が開いてしまうのです。

運命と宿命

運命とは「運ぶ」「命」と書きます。それは自分で運ぶことができる命と書くので、運命というものは生まれた後に変えることができます。自分の努力、頑張り、挑戦、選択など自分の意志に未来が委ねられます。それと比べて宿命とは「宿る」「命」と書きます。自分に宿る命ということです。これは変えることができません。自分が人として生まれてきたこと、日本人として生まれてきたこと、この家系に生まれてきたこと、生まれた出生地など。この事実をまず受けとめ、自分の運命を切り開いていくことにより、それが自分の未来を後押しすることでしょう。物事には変えることができることと変えることができないことがあるのです。宿命とは私の原点であり、基本です。その土台を否定して大きな建物を建てることはできません。このように宿命と運命とはつながっているのです。

ポテンシャル

子供たちが時々使う「無理」という言葉ですが、それは若すぎます。自分でそういう気はないかもしれませんが、大人から見ると小学生などは可能性でいっぱいです。もちろん難しいこともあるでしょうが、あきらめずに挑戦すれば、だんだんできるようになるはずです。完璧を求めなくてもいいのです。よくポテンシャルという言葉を最近は聞くようになりましたが、「潜在的な能力、可能性として持つ力」という意味です。すぐにはできないかもしれませんが、難しいことはあきらめずに小さな頑張りを積み重ねれば大きくなります。「どうせ無理」という言葉は使わないようにしましょう。使うなら「きっとできる」です。

美しい心

心が美しい人はどんな人でしょうか。それは3つのポイントがあります。「態度」「行動」「発言」です。3つのうち、1つだけでは不十分。3つとも揃っていることが条件です。相手を思いやる態度、今を一生懸命に生きる行動、人にありがとうございますと感謝をする発言があります。心を磨くための方法もここにあります。最初は抵抗があっても、まずは形から入っていくことです。形だけでも心がけていれば、だんだん気持ちに変化が現れてきます。すなわち発言、行動、態度には、あなたの内側にある心を変える力があるのです。

基本の大切さ

空手の稽古は必ず基本から始まります。子供たちの中には、この基本稽古がつまらないと思う人もいるでしょう。なぜなら基本は、単調であり繰り返しであり、刺激が少ないからです。だから飽きやすいのです。しかし、基本を延々とやることは簡単そうで意外と難しいことです。嫌になっても手抜きをせず、誘惑があっても惑わされない、愚痴や弱音を吐かない、このように基本を続けることは相当なメンタルの強さが要求されます。これは空手に限らず、どんな分野でも同じではないでしょうか。応用にチャレンジすることはあっても、基本だけは卒業することはありません。そして続ける秘訣はいつも初心を忘れず、今の瞬間に集中することなのです。

今が大切

今の自分は、つまりは結果です。これまでの行いや経験を過去に繰り返し、その結果「今の私」がいます。そして今の私の積み重ねは未来の私にもつながっています。だからこそ大切なのは、目の前にあることに全力を尽くそうということです。過去に戻り、やり直すことはできません。また今すぐに未来へと飛ぶこともできません。私ができる毎日の積み重ねが結果として未来の私を生み出す原因になるのですから。

自己管理について~「衝突するときは譲る」

自己管理という言葉がありますが、それはどれくらい自分の心と体をコントロールできるかということです。たとえば車を運転していて狭い道に入った時、向こうからも車がやってきた場合、どちらも譲らなければ衝突するか、喧嘩になります。そんな時は面倒でも道を譲ってあげると、事もなくおさまり、衝突も喧嘩も起きません。人間関係においても衝突しそうな時は、相手に譲ってあげることも必要です。それは勝ち負けとは関係ありません。こうした些細なことが自分をコントロールしていくことにつながります。

自己管理について~「自分を映すこと」

車の運転免許証には試験があり、空手の昇級昇段資格にも審査があり、国家資格を得るには国家試験があります。それらに合格して初めて資格を得ることができます。しかし、心の運転には免許証がありません。仕事、お金、健康、恋愛、家族、子育て、人間関係などにおいて発生するトラブルや悩みの原因の多くは、自分自身の自己管理から来るものが多いのです。喧嘩をすれば相手に問題があるように思えます。でも、本当は相手に反発する自分にも問題があります。人の心は自分を映す鏡です。心の水面が静かであれば自分の姿が鮮明に見えるはずです。自分をコントロールできない人はどんな分野においても事故を起こします。まずは心の運転を正しくすることが人生において何よりも大切なのです。

水と安全~自分を守るために

皆さんは御存知でしょうか?世界に出れば水と安全はタダではありません。これまで日本は世界でも治安の良い国として認められてきました。もちろん、今でもそうかもしれませんが、でも最近世の中で起きている事件を見るとそうとばかりは言えない事態になってきています。子供や女性を狙う事件が頻発しています。子供を守るためには多くの注意点が必要ですが、必ず犯人は子供が一人でいる時を狙うということです。そのためにも外での一人遊び、または特に一人での下校は危険です。また女性の夜の一人歩きは最も危険です。大人の武道の有段者であっても油断していればやられてしまうこともあります。武術を身につけるということは平素からの高い防犯意識をもつことをも意味しています。

武士道について

皆さんは新渡戸稲造という方をご存知でしょうか?この名前を正しく読める人は以外と少ないと思います。「にとべ いなぞう」と読みます。かつて「私は太平洋の架け橋になりたい」と言葉を残し、日本と西洋の架け橋となろうと志した方であり、五千円札の肖像画にもなっています。何よりもその著作「武士道」が日本の伝統精神と誇りを世界に紹介しました。その名言から「勇気がある人というのは、心の落着きが姿にあらわされているものです。」「いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである。逆境にある人は常に『もう少しだ』と言って進むといい。やがて必ず前途に光が差してくる。」「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。」と言われています。私たちが日本人として、これからどのような立ち位置で生きるべきかにヒントを与えてくれているのではないでしょうか。

神仏を尊び、神仏に頼らず

この言葉は吉川栄治作「宮本武蔵」の中の言葉で、大山倍達総裁が愛されたものです。これは武蔵が何度も生死の境界に立って至った境地かもしれません。この世に自分を人として生み出してくれた神仏を尊びこそすれ、この世でのことは必ず人である自分が人事を尽くさなければならない。だからこそ万事を神仏に頼ることはない。私たちが良く知る言葉に『人事を尽くして天命を待つ』とありますが、そのような境地に通じるものだと思います。武術は初めは殺人術であったのが、より自己の内面と精神性を修養する武道へと体系化されていったものと思われますが、私たちは競技としての空手だけではなく、武道としての空手を学ぶ者として現代社会の中で自分の生き方としての柱として忘れてはならない名言だと思います。

心の闘いと現実の闘い

空手の稽古の時間は動きのある禅とも言えます。自分自身の心の集中に合わせて体を動かすということは、ある程度の緊張がなければ不可能です。しかし、緊張しているからと言ってガチガチに体が硬くなってしまっては、思うような動きはできません。体はリラックスしていても機敏に反応できるということです。このような空手の鍛錬は、私たちの人生において重大な場面において役に立つようになってきます。受験や就職、また重大な判断をしなければならない時が数多くあります。自分の心の闘いに勝てなければ、現実を凌駕することはできないのです。そのための空手の稽古だということを忘れないようにしてください。

寝る子は育つ

人の成長に最も深く関わっているものが脳下垂体前葉から出される「成長ホルモン」と言われ、特に成長期の子供にとってはなくてはならないものです。これが分泌されるのが実は睡眠後、約2時間くらい経ってからです。平均的には一日のうち22時~2時の間で、その前に人を眠たくさせる睡眠ホルモンのメラトニンが脳の松果体という場所から分泌されます。これは目に入る外界の光によって調節されています。ですから夜遅くまで、テレビを見ていたり、インターネットの刺激的な情報やスマホのLINEをいつも使っていることが良質な睡眠にはマイナス的な要素です。小学生であれば最低9時間は睡眠時間を摂れるように家庭において環境づくりをしてあげることがお子様の身体の成長にとっても脳の発育にとっても必要です。「寝る子は育つ」という格言は間違ってはいません。

挨拶から始まる礼儀

当然と言えば当然なのですが、スポーツや武道をやる限りにおいて結果以上に大切なのはマナーです。それは挨拶から始まり、返事や言葉遣い、そして周りの人への感謝の気持ちを表現します。最近は、挨拶ができない子供が増えています。学校教育で礼儀を教えることはできません。礼儀の躾は親の責任です。「たかが挨拶、されど挨拶」、ある意味挨拶さえ、まともにできない人間が社会人などにはなれません。正しい挨拶とは「おはようございます」「よろしくお願いします」「ありがとうございました」といった丁寧な言葉を相手に伝え、そのあとにお辞儀をすることまでがワンセットです。お辞儀は頭を下げるのではなく、腰を折るのが正しいやり方です。それは「心を下げる」という意味が込められています。武道精神が「礼に始まり礼に終わる」と言われるのは、いつも指導してくれる先生、応援してくれる両親、使っている道具に至るまですべての物事に感謝の念を培うことが目的なのです。

武道について

よく問われるのは武道と格闘技です。格闘技はあるルールの中で行われる競技であり、いかに相手を倒し、勝つかということに価値が置かれています。それに対して武道は「道」という文字がついているように「道=人生」を意味していると思います。すなわち人生という戦場でいかに生き残るかということの術を求めていくのが武道ではないでしょうか。そして、自分が歩いたその道を後から誰かが歩いても、生き残る鍵を見つけれるようにしてあげなければなりません。

そういう意味では武道以外の茶道、華道、書道など「道」のつくものは、やはり人としての生き方も合わせて修道していくべきものだと思います。競技には終わりがありますが、「道」には終わりがありません。生きている限り自己研鑚は続いていくものです。

栗のイガと実

空手は武道ですから、強さを求めることは別に構いません。しかし、それは究極的な目的ではありません。本当に求めなければならないのは人間としての強さです。新渡戸稲造の名言には「他人に勇ましく振る舞い、誰々に勝った、へこませた、と独り相撲をとる者がいる。しかし、真の強さとは「内に強い人」「己に克つ」人間だ。栗のイガは強さを助けるものではあるが、これが力だと思うのは大間違い。力とは内にある確信と、それを実行するためにあらゆる障害に耐える意志のことである」とあります。結局、厳しい稽古の積み重ねの上で、どのような人格を形成するかということが武道としての空手が問われるところだと思います。

アイデンティティとオリンピック

4年に1度に行われるオリンピックは参加するスポーツにとっては毎年行われる大会とは違って、4年というそのスパンの長さで世界でトップを決める闘いと言ってもいいでしょう。それと共に、普段は意識していない私たちが日本という国、日本人であることのアイデンティティを確認することのできる場であるからこそ、皆感動や興奮をするのではないでしょうか。2020年の東京開催においては空手も正式種目として採用されました。どのようなルールで行うにせよ、日本の伝統的武道である空手を通じて私たち日本人としてのアイデンティティと伝統精神を見直すことができればいいと感じます。

本当の強さとは

勝ったかどうかで強いかどうかが決まるのではありません。勝利は、実力もありますが、偶然勝ってしまうこともあります。本当の強さとは、諦めないかどうかで決まるのです。諦めないのは偶然ではありません。本人に強い信念や精神力がなければできないことです。負けても負けても諦めない。諦めるのは簡単ですが、諦めないのは難しい。落ち込んだ気持ちを立て直すのは、強いパワーが必要です。本当の強さとは諦めないことです。空手の稽古は人生において諦めないことを追求します。

成功の鍵

最近、興味深い記事を目にしました。それは「成功の鍵は才能やIQではなくグリットである」という内容でした。グリットとは「やり抜く力」という意味です。一般的に才能のある人、IQの高い人が成功していると思いがちですが、実は成長思考をしながらやり抜く力を培った人が才能やIQで勝る人よりも成功しているという内容でした。空手の稽古はいろんな取り組み方があると思います。間違いないのは、「やり抜く力」を培う効果があるということです。人生は短距離走ではなくマラソンに似ています。空手の稽古には引退はありません。自分の将来の夢を実現するため空手の鍛錬を通じていつも自分を謙虚に反省する時間として成長思考をしてください。

置かれた場所で咲きなさい。それとも・・・

この言葉は先日亡くなられたノートルダム清心女子学園の理事長をされていた渡辺和子さんの執筆された書籍の題名となっていた言葉です。確かに深い意味をもった言葉なのですが、ストレスの多い現代社会においては、過労死などが問題となる中にあって、必ずしも置かれた場所にこだわっていると自分の心身が壊れてしまう場合もあります。どんな環境にあっても花を咲かせるということは難しいことだと思います。その時は我慢をせず、現実の環境から逃げることも必要ではないかと感じます。武道においては、相手と戦うことばかりではなく、逃げて生き抜くことも兵法であることを教えています。

武士道精神と手塚グループの目指すもの

社会の基本単位は家族であり家庭であることは周知の事実です。だからこそ、家庭において抱える課題や問題はそのまま社会の課題や問題へと反映されます。今の現代社会においては、その家族の問題や課題を解決するための共通分母が家庭にないため、戦後欧米から流入してきた個人主義が影響し、一緒に暮らしていても一人一人が孤独であるという問題を抱えています。極真空手手塚グループが目指すものは、武道としての空手修行を通じて、家族が対話をし、失われた家族精神を取り戻し、利他的な心を持った青少年を育成することを目的としています。

稽古の成果

空手の稽古において外的な成果はまず、技の習得という観点から見れば大会や審査において現れます。しかし、その内面的な成果というものは、空手を実践する以外の場、すなわち家庭生活や学校生活、職場において現れなければなりません。闘いはいつも心の中で絶えず続いています。人の言動の動機というものは見えないですが、それはまさしくその人の言動となって現れます。エネルギーには負のものと正のものとがあります。憎しみや怒りは負のエネルギーであり、愛情は正のエネルギーです。そのエネルギーのどちらを多く使うかで、その人の人格が形成されていくと言っても過言ではありません。空手の稽古によって正のエネルギーを日常生活において使うことができるようになることがまさしく正しい成果と言えます。

初心忘るべからず
 

この言葉は日本人であれば、おそらく誰もがお聞きになられたことがあると思いますが、本当の意味を知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。これは初めの志や決心のことではありません。実はこれは道を始めた時の自分自身の未熟さや、みっともなさを意味しています。このことを説いたのが能を大成した観阿弥の息子、世阿弥という人物です。彼は著書『花鏡』の中で「是非とも初心忘るべからず、時々の初心忘るべからず、老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし」との一節です。若き日の未熟な状態から抜け出した後、年盛りから老後に至るまでの各段階で年相応の芸を学んだ、初めての境地を覚えておくことにより、幅広い芸が可能になるという説いています。そして最後には老後にさえふさわしい芸を学ぶ初心があることをも説いています。また『風姿花伝』の中では、「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて花の失するをも知らず」これは、かりそめの花におごる人は生涯かけて咲かせるまことの花に遠ざかるという意味です。いわゆる未熟さへの自覚が自分を育てるということです。武道の道にも通じる内容です。

人の命を左右する言葉
 

言葉は、誰かを励まし勇気づけることがあると同時に、心のもつれをほどくことなく、断ち切ってしまう「言葉の刃」ともなってしまうことがあります。特に近しい関係であれば、聞き逃すことができないものとなります。すなわち言葉は「言霊」(ことだま)ともなり、「言刃」(ことば)ともなるのです。売り言葉に買い言葉と言いますが、感情的になって相手が発した言葉をそのまま受け止めて、こちらも感情的に返すことを続けていると、たいていの関係はそのうち壊れます。投げつけられた言葉の刃は、相手を有無を言わせずに痛めつける凶器に他ならないからです。「剣を取る者は、剣で滅びる」とイエス・キリストの言葉の通りです。ですから、人間関係においては、自分が言われたくないことは、相手にも言わないということがお互いを守ることになるのです。どういう言葉を発すれば相手を生かすことができるかということをいつも考え努力することも修行の一つです。

人は自ら崇拝するものに似るようになる
 

偶像という言葉があります。それは宗教的に表現すれば、人がつくったものを具現化、可視化したものを意味します。崇拝とはまさしく信じ拝むということです。カルヴィンが言ったように人間は偶像を作り出す工場であるのです。アイドルという言葉はまさしく「偶像」のことです。不思議に人間は自分が崇拝するものに似ていくというのです。たとえばお金を崇拝している人は、すべての価値観がお金になります。そのためにはどんな犠牲も厭いません。また地位や権力を崇拝すれば、そこに人生の価値を置くようになるので、それを得るためにはどんな犠牲も厭いません。仕事を崇拝している人は、仕事のためにすべてを犠牲にします。またゲームを崇拝する人は、そうだろうし、メディアを崇拝する人はそうでしょう。現代においてはネット社会などはまさしく多くの人々の偶像が存在する世界です。しかし、それは真に自分を豊かにするものではなく、すべて虚構であるというのです。武道が求めるのは単なる外的な強さではなく、どうすれば人生を豊かに生きることができるかを目的に置かなければ、自分が作り出した偶像に支配されていくことになり、虚しさが残っていくのです。

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